秒速5センチメートルについて考えました

今日、新海誠監督の最新作「秒速5センチメートル」を観てきました。
終わった後、色々な考えが勝手に頭の中に溢れてきました。
普段は批評とか、そういったものが苦手な私ですが、ここまで考えさせられる
作品を観たのは久しぶりだったので感想を交えて少し書いてみたいと思います。

ネタバレを含みますのでご注意くださいませ。あと、今回は結構真面目です。

まず、この映画を一言で表すならば、これは「正しい」んです
何が正しいのか、具体的には言いにくいんですが、この作品はアニメという枠の中において
現実=リアルを私たちにぶつけてきます。
この映画は3話構成ですが、回を重ねる度に、よりリアルさを増していきます。
そして最後は山崎まさよしの[One more time, One more chance]で締まります。

まず1話の「桜花抄」では、小学校の卒業を機に離れ離れになった二人「タカキ」と「アカリ」が
中学1年の3月に再開するまでを描いています。

引越すことになったアカリがその事実を電話越しでタカキに涙ながらに伝え、同じ中学校に
行けないことを知ったタカキは自分よりも傷ついているはずのアカリに優しい言葉をかけて
あげることが出来ませんでした。

その後、半年してアカリから手紙が来るようになり、文通で二人の絆はより深まっていきます。
文通を続けている中、今度はタカキの引越しが決まります。そして、タカキはアカリに会うことを決意し、
3月に彼女の住む場所まで旅に出ます 1年前、伝えられなかった言葉と今の思いを書いた手紙を持って。

中学1年生で初めての一人旅、雪の影響でなかなか進まない電車の中、タカキは不安と恐怖に押し潰され
そうになりながら、アカリに会う一心で耐えていました。しかし、乗り換えのホームで、アカリに
書いた手紙は無常にもその手を離れて風に舞ってしまいました。
結局アカリの住む土地の駅に着いたときには予定よりも約5時間遅れていました。
「どうか、もう家に帰っていてほしい」
アカリを心配し、そう願っていたタカキでしたが、駅の改札をくぐった先のベンチには、一人の少女が
うつむいたまま座っていました。
アカリに声をかけ、泣きあう二人、きっとこの時は、再会した喜びよりも、不安と恐怖から解放された
ことのほうが大きかったんじゃないかと思います。

そして駅を出て、桜の木の下でキスをする二人、この時、二人の思いは確かに同じ方向を向いていました。
タカキは手紙を失くしたことをアカリに伝えないまま、次の日の朝帰っていきますが、見送ったアカリの手にもまた、
渡すことのなかったタカキへの手紙が握られていました。
きっとタカキに会い、二人の気持ちを確認することができたので、その手紙は必要なくなったのでしょう。
そして、タカキは彼女を守れる強さを手に入れたいと思いました。「彼女が幸せになるために」

全話通して言えることですが、多様な風景の描写はさすが新海監督だと思わされるほどの美しさでした。
タカキとアカリ、二人の思いがスクリーン越しに伝わってきました。
そう、この時点では、確かに二人ともお互いを好きでいたのです。
ここからがこの作品の持つリアリティです。「人の気持ちは変わっていくもの」なのだと。

2話の「コスモナウト」では、鹿児島に引越し、高校生になったタカキに思いを寄せるカナエの視点で
物語が進められていきます。将来に不安を持ち、自分のやりたいことが見つからないまま日々を過ごす
高校生のカナエにとって、タカキは全てを決め、自分のやるべきことがわかっているタイプに見えていました。
しかし、実際はタカキも「今のことで精一杯、だから自分が今出来ることをやっているだけだ」とカナエに話します。
その言葉に励まされ、カナエも自分が今出来ることから頑張ろうと考えます。
確かに、タカキはカナエに優しく接していますが、実際にはカナエのことは見ていません。
タカキがずっと見続けているのはあの日別れたアカリのことだけです。(中学から高校の間にアカリと何かあったか
わかりませんが)タカキは今でもアカリのことだけを考えて生きています。カナエに言ったあの言葉は
タカキが「アカリ」を幸せにするために今出来ることを精一杯やっているという意味じゃないかと思いました。
そして、カナエはタカキに告白することもできず、自分がタカキに見てもらえる日は来ないと悟り、布団の中で
泣きながらその恋は幕を閉じます。
「それでも、これからも遠野君を好きで居続けるんだろう」
カナエがこう言って2話は終わっていきますが、その気持ちが続いていくのかはわかりません。

そして、3話、表題作である「秒速5センチメートル」です。
はっきり言って、私はこの作品をナメていたかもしれません。観終えるまでずっと、タカキとアカリは結ばれる
ものだとばかり思っていたからです。舞台は東京、社会人になったタカキはとにかく前に進もうと、がむしゃらに
仕事をし、そして心はやつれていきました。3年間付き合った彼女から別れを告げるメールとその内容は
「3年間で二人の距離は1センチメートルも縮まらなかった気がします」でした。

1秒間で5センチ落ちる桜の花びら、1時間で5キロ進むロケット、そんなものに比べ、全く進まない心の距離。

更に、アカリからは結婚を報告するメールが届きます。そのメールに、タカキはまた愕然とします。

「アカリを幸せにしたい。」
そう思い続けて、タカキは今までの人生を歩んできました。
しかし私は、それは心が止まったままの状態なんじゃないかと思うのです。
「人の気持ちは変わっていく」
中学生のあの日、確かに二人は同じ気持ちを持っていました。
しかし、大人になるにつれ、異なる環境で生活をし、アカリは前に進み続けていました。
それは、人として当然のこと。中学生のことは良い思いでの一つになっています。
一方、タカキはそんなこととには気づかず、ただひたすらに、アカリを幸せにすることを願っていました。

成長し、自分の理想と現実の距離に愕然とし、必死にもがくけれども理想には届かない。

「タカキは、本当にアカリの幸せだけを願っていたのか」
そう考えると、そこには疑問が生じます。だって、アカリは幸せになりましたから。
二人別々の場所で別々の時間を過ごし、アカリは自分の幸せを見つけました。
だから、結婚報告のメールを受けたとして、アカリの幸せだけを望んでいたタカキは喜んだとしても、
落胆することは無いはずなのです。
タカキは「アカリを幸せにすることで、自分が幸せになりたい。」と、思っていたんじゃないかと思います。
「自分でなければアカリを幸せにすることはできない。」という思いがあったのかもしれません。

しかし、現実はそんなことは無く、アカリは自分で自分の幸せを見つけました。
そして疲れきり、会社を辞めたタカキは踏切りでアカリとすれ違います
踏切りを渡りきり、タカキは「ここで振返れば、きっと彼女も」
そう思い、電車の通過を待ちます。
そして、電車が通過した後には・・・(この後はお察しください。)
きっと中学生のアカリならばそこに居たのでしょう。しかし、今は違うのです。
この辺が、この映画が「正しい」と感じた最も大きな点です。

それでも、アカリもタカキのことを忘れてしまったわけではありません。
二人ともまだ、お互いのことを心のどこかにしまっています。
だから、昔の手紙を見つけたアカリはタカキに結婚の報告をし、自分は幸せになったことを伝え、
タカキにも幸せになって欲しいと願ったんだと思います。

中学時代から、前に進んだのはアカリで、その場に留まっていたのがタカキだった。
そういうことなんだと思います。

その後、前を向いて歩き始めたタカキは笑っていました。きっとこれでタカキも前に進んで行けると思います。

秒速5センチメートルの間、ずっと[One more time, One more chance]が流れていました。
私が高校1年生のとき、初めて聴いたんですが、そのときは特にこれといった感情もなく聴き流していました。
しかし、今になって聴くと(映画の演出もあったのですが)ものすごく胸が詰まってせつなく、くるしくなりました。

最初、観終わったときは、ハッピーエンドじゃないのか。と思いましたが、色々考えた結果。これも一つの
ハッピーエンドなんだと思うようになりました。きっとタカキもこれから幸せになれる、そんな気がしたからです。

こうして、私たちに現実を突きつけてくるアニメ「秒速5センチメートル」ですが、その内容の取り方は、
人によって結構変わってくると思います。
私はハッピーエンドだと思いましたが、別の人は救われない終わり方だと言うかもしれません。
でも、この作品はそれでいいんだと思います。そのために1話ごとの時間の間隔を空けて色んなことを
考えることができるようになってると思いますから。

なので、私のこの感想は嘘かもしれないし、本当かもしれません。ただ、私はこう感じたというだけです。

実際は一人一人がこの作品を実際に観て、判断するのが答えに繋がると思います。
以上、ぐだぐだと長い文章を書いてしまいましたが、この辺で私の感想にしたいと思います。

(それにしても、婚約者と歩くときのアカリは幸せそうだったなぁ)